09年の厳しすぎた春:エベレスト、セブンサミットを目指して
この12年間に僕は岐阜県高山の総合病院の一人産婦人科部長として、週5日の産科当直をひたすら続け、
年間約300の分娩に関わってきた。もちろん海外旅行どころか国内旅行もままならない日々だ。その間に3人
の子供達は確実に成長し、それぞれ高校生、中学生、小学生となった。
昔は若かった自分も何時の間にか45歳となり、少しづつだが身体の衰えも感じてきた。このまま産直の日々
の中で年老いていくのだろうか?
仕方が無い事とはいえどうしてもそれなりの焦りを感じる。何とか身体が動くうちにもう一度登り残してきた海
外の山々に挑戦したい。それは今までに無い大きな挑戦でなければ意味がない。
そう思い込んでいる内に、ふとした事で海外登山のための時間を作れるかもしれないチャンスが舞い込んだ。
僕は思い切ってエベレストを最終目的とした長い旅の計画を練り出した。
やはり人生一度は世界最高峰に挑戦したい。きっと今ここで8848mに挑戦するのは、人生最大のチャレン
ジとして相応しいに違いないだろう。
各種準備と仕事に追われているため、トレーニングに励む時間が殆ど無いのは分かっていた。とはいえエベ
レスト前の1〜2ヶ月をプレ登山に当て、高所順応しつつ身体を作ればエベレストだってきっと何とかなると思っ
た。
当初プレ登山の場所は何処でも良かった。飛行機代はともかく交通機関を上手く利用すれば、エベレスト前
の1〜2ヶ月で6000mクラスの山を幾つか登っておく事はそれほど難しい事でない。
そこで僕は改めて残りの七大陸最高峰に目を向けた。どうせなら自分の登ってないセブンサミットにもこの期
間に挑戦してみたらどうだろうか。
エベレスト登山のスタートが4月13日と遅めだった事も幸いした。エベレスト前の2ヶ月間でニューギニアのカ
ルステンピラミッド、ネパールのメラピーク、ロシアのエルブルースにも登りに行く計画を練る。
インターネットの進歩により、資料集めも昔より格段に楽になっていた。各種エージェントに片っ端から連絡を
取る。全ての交渉毎は思ったよりずっとスムーズに進んだ。きっと時が満ち、新しい冒険のためのお膳立ては
既に整っていたのだ。
セブンサミットを始めとした山々に登り、滑り、かつ最後にエベレストに向かう。後は覚悟だけの問題だ。これ
は僕にとって痺れるような戦いへの決断であった。2009年2月14日、僕は大きな荷物を抱えて再びの旅に出
た。次男の希太と妻がセントレアまで見送ってくれる。環太平洋計画最後の山マッキンレーに登ってから12年
の時が経っていた。
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