カルステンツピラミッド其のA〜ニューギニア島のワンダーランド〜
6日間に渡り泥のジャングルを突破してきた我々を待っていたのは、巨大な岩壁だった。
ところが近くには金鉱山あり。トラックの音まで聞こえる。
頂上までの道には意外な関門も控えていた。足並み揃わないまま凸凹隊は岩峰に突入する。

カルステンツ頂上岩稜の西端は金山に連なる


ニューギニア島中央部分水嶺を縦断してベースキャンプに入る


湖畔のベース


ジャングル越えて次は岩壁だ


最大の難関、チロリアンブリッジ


ブリッジを渡る動画へもGO

更にもう一つ小ギャップの小チロリアン


こちらは余裕のセブンサミッター


続いて僕も登頂しました


  カルステンツピラミッド登山其のA〜ニューギニア島の岩壁ワンダーランド〜

(日付)2009年2月14日(土)〜3月4日(水)
(山域)インドネシア、ニューギニア島
(現地エージェント)Adventure Indonesia (Mr.Ferdinand Tabulyan) (費用)
(他の隊員方)倉岡さん、芳田さん、ヴォラド(スロベニア生まれのアメリカ人)、ゾルタン(ハンガリー人登山ガイ
ド)、クリスティーナ(ハンガリー人)、メルディ(インドネシア人ガイド)、ポクシー(インドネシア人ガイド)
(行動)2月14日:自宅発、16日:バンコク、ジャカルタ経由、ニューギニア島ティミカへ、17日:スガパ
    18日〜23日:カルステンピラミッドベースキャンプへジャングルトレッキング、24日:休養
     25日:2:00BC発→3:30岩壁帯取り付き→8:00岩稜チロリアンブリッジ→9:00頂上→10:00〜
12:00チロリアンブリッジでヴォラド待ち→14:15BC戻り
     26日〜3月1日:帰路のジャングルトレッキングでスガパへ、2日:ティミカ、3日〜4日:ジャカルタで荷
物待ち

(忽然と現れる岩山の謎)
 僕等は猛烈なジャングルを6日間踏破して、何とかベースに辿りついた。ところが夜になると何故か遠くからト
ラックの音らしい騒音が聞こえてくる。
 驚いた事にベースキャンプのある谷を半日下ると、そこにはフリーポートという巨大な金鉱山があるという。そ
こには立派な道路も作られていたのだ。
 フリーポートをアプローチに利用させてもらえれば、この山奥のベースキャンプまで5日のジャングルトリップ
が僅か半日の簡単なトレッキングで済むという。
 何を好き好んでこんな苦労をしてきたのだと思う。しかしこのフリーポートは現在個人の管理化にあり、一般
の公募商業登山隊は現在実質通過不可能となっていた。何だかガックリする話だ。

 しかもそのベースキャンプには如何にも大学生という感じのする若いインドネシア人パーティーがいて小奇麗
な格好でキャンプを張っていた。
 聞けば彼等はジャカルタ大学山岳部の登山隊メンバーらしい。ジャカルタ大山岳部のOBがフリーポートの社
長?らしく、彼等はフリーポート経由で苦も無くこのカルステンツのベースに入ってきたと言う。そして数日をか
けて周囲の岩峰の登頂を楽しんでいた。何とも羨ましい話だと思う。
 僕等は帰りにも猛烈なジャングルを通過しないといけない。濃密な泥のジャングルをひたすら歩いてきた僕と
しては釈然としない気持ちがどうしても残った。

(夜の岩壁を行くのだが・・)
 さてベースから小さな尾根を一つ越えた向こう側には巨大な岩壁があった。その岩壁の一番高い所が目指す
カルステンツピラミッドの頂上だ。ベースから頂上までは十分日帰りが可能な距離である。
 取り付きから標高差500mになる岩壁帯を越えると、尾根上にチロリアンブリッジを要する大ギャップがある
らしく、その大ギャップ通過が頂上への核心部らしい。
 一日の休養を経た翌25日の午前2時に、僕とヴォラド、クリスティーナ、ゾルタン、及びインドネシア人ガイド
のメルディとポクシーの6人は真っ暗のベースキャンプを出て頂上に向かった。倉岡さんと芳田さんは自分達だ
けで楽に登れる技量と経験を持っているので少し遅れてスタートする。

 しばらくで岩場の取り付きに着いた。ヘッドランプを点けて3級程度の岩場を登り出す。ところが予想通りヴォ
ラドとクリスティーナの歩みが遅い。岩場にはフィックスロープが設置されていて、ロープを使えば登る事は容易
だ。しかし足並み揃わないのはどうにもならない。倉岡さんと芳田さんはさっさと僕等を追い越して頂上に向かっ
ていった。
 そうこうする内にクリスティーナが落下の恐怖から先に進めなくなった。岩稜帯の通過がどうしても怖くてでき
ないらしい。彼女は下山を希望した。インドネシア人ガイドのメルディと彼女の個人ガイドであったゾルタンは登
頂をあきらめ、彼女に付き合って途中から下降を開始した。

(チロリアンブリッジを越えて)
 最後に4級下ほどのルンゼをロープを掴んで抜けると、ガスに包まれた岩稜に出た。ここからは頂上までは稜
線伝いに辿っていく。しばらくで問題の大ギャップに出た。ここには長さ20mほどのロープが張られており、チロ
リアンブリッジでロープにぶら下がりながら越える。下は岩壁に連なり数100mに渡り切れていた。ここを落下
したら命が無い事は確実だ。ここまで僕は単独で岩場を登ってきたが、このチロリアンブリッジだけは自分ひと
りの力で通過するのに不安があった。
 インドネシア人ガイドのポクシーを待つ事にする。ポクシーはヴォラドの登攀に付き合っていたから、ヴォラド
の到着を待たないと僕は先に進めない。結局1時間ほどポクシーの到着を待つ。ポクシーのザイル操作に身を
任せ恐怖のチロリアンブリッジを突破した。此処から先はまた自分ひとりで行動できる。
 ヴォラドの面倒を見ないといけないポクシーに分かれて、一人頂上を目指した。途中更に2箇所、小さなギャッ
プがあったがこれらはフィックスロープを利用する事で容易に通過できた。
 一足も二足も早く登頂を果たした倉岡さん、芳田さんパーティーと、途中の岩稜ですれ違う。ベースキャンプを
発ってから7時間後、チロリアンブリッジを越えてから1時間後の午前9時にインドネシア最高点を示すプレート
の埋め込まれた頂上に着いた。
 近くには幾つかの小さな岩峰があり、どれが一番高いかはっきりしない。隣の岩峰に登り最高点を確かめる。
やはりプレートのある頂上が一番高い。急いでも仕方が無いのでポクシーとヴォラドが到着するのを1時間近く
待ち記念写真を撮ってから下山を開始した。

(足並み揃わず待つしかない)
 フィックスロープを辿りまたチロリアンブリッジのあるギャップに戻る。一人でロープにぶら下がり対岸に渡ろう
かしばらく迷った。
 しかし万一途中で力尽きたら大変だ。ここでまた僕はやはり後続するポクシーとヴォラドを待つ事にする。とこ
ろがヨロヨロとしたヴォラドの下山は遅い。結局僕は狭い岩稜上で彼等が到着するのを2時間待った。幸いここ
の標高は4500mしかなく寒くも無い。多少帰りが遅くなっても命に関わる事ではない。
 帰りのチロリアンもポクシーに助けてもらい突破する。このギャップさえ通過してしまえば、後は懸垂下降の連
続だから自分単独で下山できる。ヴォラドが無事チロリアンを通過するのを確認して一人下山に入った。
 一つしかない下降器を途中で落さない事に気をつけて、20P程のフィックスロープを利用して下山する。チロ
リアンから岩場の取り付きまで1時間もかからない。ゆっくり休みながらベースキャンプに戻った。
 ポクシーとヴォラドは僕の2時間後にベースに戻ってきた。倉岡さんと芳田さんは僕の2時間前にはベースに
戻ってきていたらしい。
 僕は岩稜上でトータル4時間はヴォラドを待った。登頂者5人に引き返した方が3人。いくら公募の商業登山
隊とはいえ、なかなか足並み揃わないパーティ構成であった事は間違いない。