カルステンツピラミッド其の@〜遥かなる泥のジャングルを越えて〜

今回の旅はインドネシアの最高峰であり、ニューギニア島の最高点。同時にオーストラリア地域の最高峰とされ
ているカルステンツピラミッドから始まった。もちろん七大陸最高峰の一つだ。
深い熱帯のジャングルの中に忽然とそびえる岩山らしい。
登山許可の取得が難しかった関係で、過去の登頂者の人数も極端に少ない。
僕にとって12年ぶりの海外で、果たして上手く行くだろうか?
大きな不安を抱きながら、僕はニューギニアのジャングルに向かった。

ニューギニア島の地図。西半分がインドネシア領。太平洋戦争の激戦地でもある


アプローチは6日間のジャングルトリップ


ティミカは金山の門前町、飛行場には巨大なタイヤのモニュメントあり


スガパの飛行場では現地の方が一斉にお出迎え


橋の前で通行止め。中々通らせてくれない


珍しい外国人に興味津々


行きはよいよい、帰りは怖い


橋があれば上等


高層湿原の泥壁登りが続いた


  カルステンピラミッド登山其の@〜遥かなジャングルを越えて〜

(日付)2009年2月14日(土)〜3月4日(水)
(山域)インドネシア、ニューギニア島
(現地エージェント)Adventure Indonesia  (エージェントに支払った費用)13700USD
(他の隊員方)倉岡さん、芳田さん、ヴォラド(スロベニア生まれのアメリカ人)、ゾルタン(ハンガリー人登山ガイ
ド)、クリスティーナ(ハンガリー人)、メルディ(インドネシア人ガイド)、ポクシー(インドネシア人ガイド)
(行動)2月14日:自宅発、16日:バンコク、ジャカルタ経由、ニューギニア島ティミカへ、17日:スガパ
    18日〜23日:カルステンピラミッドベースキャンプ(標高4300m)へジャングルトレッキング、24日:休
養、25日:2:00BC発→3:30岩壁帯取り付き→8:00岩稜チロリアンブリッジ→9:00頂上(標高4884m)
→10:00〜12:00チロリアンブリッジでヴォラド待ち→14:15BC戻り、26日〜3月1日:帰路のジャングルト
レッキングでスガパへ、2日:→ティミカ、3日〜5日:ジャカルタで荷物待ち

(凸凹?のカルステンツメンバー) 
 バンコクを経由しジャカルタに入る。現地エージェントのフェルディナンドがジャカルタ空港まで迎えに来てくれ
ていた。空港傍のホテルで時間を潰し、深夜のニューギニア島行き飛行機に乗り込む。

 夜の飛行場待合室で今回のカルステンピラミッド公募登山のメンバーが全員揃った。嬉しい驚きとして日本人
の方が2人みえる。一目只者ではない雰囲気を漂わしたスポーツマン風の方は日本を代表する?セブンサミッ
ト登山ガイド倉岡氏であった。過去に七大陸最高峰を全て2回以上登頂している。もう一人の方もチョモランマ
登頂経験者でこのカルステンツがセブンサミット最後の峰となる芳田さんだった。

 てっきり唯一の日本人参加者だろうと思い不安を感じていた僕としては、日本人2人の登場で肩の荷がやや
下りた様な気がした。自分と直接の関係は無いといえ、日本人プロ登山家の方も登山に参加されるというのは
随分と心強い。

 その他の参加者はアメリカ人で大男のヴォラド、ハンガリー人女性のクリスティーナ、及び彼女のガイドのハ
ンガリー人ゾルタンであった。このメンバーに2人のインドネシア人ガイドが加わり、総勢8人でカルステンツの
頂上を目指す。足並み揃ったメンバー構成とは言えない感じはしたが世界中から公募で集められたメンバーと
してはこんなものなのだろう。僕もその一員であるし、今回は僕にとって12年ぶりの海外旅行でもある。あまり
贅沢は言えない。

(ペニスケースのお出迎え)
 ニューギニア島ティミカの町は金山を中心にして栄えている比較的新しい町らしい。飛行場の前には金山採
掘用トラックの巨大タイヤがモニュメントとして飾られている。飛行機の荷物の重量は人間と共に大きな天秤で
まとめて測られていた。いよいよ未開の地域に近づいてきたと感じる。
 そこからピラタスポーターの小型飛行機に乗り、ニューギニア島内陸の集落スガパに飛んだ。

 小さな未舗装飛行場では大人も子供も飛行機に近寄り、降りてきた物珍しい外国人を出迎えてくれた。子供
達の多くはボロボロのサッカーウェアを身に付けていたが、大人の多くは半裸のままだ。立派なペニスケースを
身に付けた人たちもいる。一方靴を履いている人はまずいない。
 子供の頃に読んだ冒険ダン吉の漫画を思い出した。覚悟していたとはいえ、久しぶりの海外旅行でいきなりと
んでもない世界に来たもんだと思う。
 このニューギニア内陸の地は、午後に決まって大雨が降るという。スガパの町では小さな民家らしい家に泊ま
らせていただいた。後から思えばこれは貴重な屋根のある家での宿泊であった。

(ジャングルでの通行止め)
 翌日から20人程の現地ポーターと共にジャングルトレッキングが始まった。歩き出して2時間もしたら吊橋の
かかるワブー川に出た。ここでいきなりスガパと別の部族の人たちが、通行止めバリケードを作り僕等を待ち受
けていた。どうしてもこの橋を我々に渡らせないと言う。
 彼等ははっきり言って未開の部族だ。外国人の通行はそれだけで大事件なのだろう。ポーターとして上手く雇
われない者たちの不満もあるに違いない。しかし僕のような現代人には全く理解できないニューギニア島現地
人の理屈もある様だ。とにかく僕は大人しく事態を見守るしかない。
 半日に渡るすったもんだの末に、幾ばくかのお金も動き、やっと僕等の橋の通行が許された。午後には決ま
って雨が降るこの地域でこういう通行止めは面白くない。この日は雨の中夜遅くまで歩き続け何とか最後の集
落スワンガマに辿りついた。

(ジャングルトリップの洗礼)
 スワンガマから先からはジャングルにまともな道は無くなり、本格的なジャングルトリップが始まる。川沿いに
作られた細い泥道をひたすら進んだ。粗末な橋がかかっている場所もあるが、半分壊れた橋も多い。がけ崩れ
の危険もある急な川岸を何回もへつった。
 危険な一本橋を渡り、川沿いに僅かに設けられたキャンプ地に着いた時にはもうドロドロびしょびしょだ。ヴォ
ラドは最後の一本橋が渡れないでいる。クリスティーナは足を挫いて涙目で歩き続けていた。これは予想以上
に大変なジャングル歩きだ。
 
 翌日からもニューギニア高地中央部に向かい登り泥道がひたすら続いた。この日は朝から雨で、全身びしょ
濡れのまま泥道との格闘が続いた。こんな泥道を予想していなかった僕は足回りの準備が不十分だった。びし
ょびしょの足はひどく不快だが、今更我慢するしかない。それほど暑くは無く、思ったより不快な虫が少ない事
が救いだった。海岸線と異なりマラリア蚊もここにはいない。

 ニューギニアの中央高地帯に上がると、更に道は険しくなった。泥壁としか言いようの無い場所を登ったり、
何も無い川を渡渉したりを繰り返す。何より辛いのは雨と泥で身体がびしょびしょになる事だ。欧米人の3人に
は特にこの湿り気が堪らない苦痛らしい。夕食は雨の中傘を差し、立ったままで食べた。これが嫌で夜は食事
も食べず湿った寝袋で寝てしまう人も多い。
 標高も徐々に上がり夜になるとそれなりに寒い。ヴォラドは下着までびしょびしょになり、歯をガタガタさせ毎
晩夜中まで震えていた。

(ニュージーランドパスからベースキャンプへ)
 キャラバンを始めて5日目、大きな高層湿原と湖の脇を幾つか通り抜けると、標高差500m以上の泥壁を登
ると岩場が少しずつ増えてきた。目指すカルステンツピラミッドが近い事を感じる。6日目に分水嶺でもある標
高4500mのニュージーランドパス越える。やや高度の影響も感じた。
 2月23日やっとの思いでベースキャンプに辿りついた。ヴォラドとクリスティーナはもう精根尽き果てた雰囲気
だ。帰りのジャングルは耐えられないので高いお金を払ってもヘリコプターを呼ぶ事を考えている。
 スガパからベースキャンプまでのこの6日間のジャングルトリップが、カルステンツ登頂のための最大の難所
であると言ってまず間違いないと僕は思う。
 カルステンツのベースキャンプはモレーンで作られた美しい湖の脇にあった。湖は美しいのだが過去の登山隊
のゴミが湖畔に散乱しているのがいただけない。仕方が無いとは言え未開の現地ポーターたちはゴミをゴミとも
思わず、どんどん道端に捨てる。セブンサミットの価値を落さない為にもこれは何とかして貰いたいと思う。

       
上記写真の多くはスーパープロガイド倉岡さん撮影の写真です。勝手に使ってすみません。
倉岡さんのHPへもGO,そしてカルステンツから世界の屋根へ行こう。