世界の最高点エベレスト頂上を目指して、其の@〜順化登山でアイランド
ピークへ〜
初対面の隊員方と共に暴動とお祭りのバンコク越えて、再び僕はネパールに入った。何時の間にか
順化登山でアイランドピークに登る事になっている。聞いた事のある山ではあるが、どんな山なのだろうか?

エベレストは世界の屋根のてっぺんです


アイランドピークは、エベレスト、ローツェの南側標高6100mほどの小ピーク


初対面のエベレスト隊の方々、ちょっと普通よりキャラは濃いゾ


ルクラへのフライトで待たされました


アイランドピーク隊も合流して、賑やかで美味しいキャラバン


エベレストが見えてきたぞー


アマダブラムを望みながらの、楽しいキャラバンでした


アイランドピーク上部キャンプへの登り


頂上アタックの朝、懸垂氷河の向こうにアイランドピークの頂上


クレバスはジャンプで突破


氷壁登りもあり


アイランドピーク頂上への稜線


頂上にて。エベレスト隊の面目は保ちました


   世界の最高点エベレスト頂上を目指して、其の@〜順化登山でアイランドピークへ〜

(日付)2009年4月13日(月)〜6月2日(火)
(山域)ネパール
(現地エージェント):コスモトレック (国内公募登山催行会社):アドベンチャーガイズ社(AG社) (他のエベレ
スト隊員方)哲王さん、マックさん、スキーヤータカちゃん、謙ちゃん隊長、ランナーさん 
(いわゆるシェルパの方々):プラチリ(サーダー)、ボビー、チュパ、ガチャピン、ランパブ、ラムカジ、マイラ(コ
ック)
(行動)4月13日:成田→バンコク、14日:→カトマンズ、17日〜23日:→ルクラ→バクディン→ナムチェバザー
ル→ディンボチェ→アイランドピークBC
    24日〜26日:アイランドピーク登山、27日〜30日:エベレストBC(5400m)への移動
    
(出会いと別れの始まり)
 モスクワからの10時間のフライトを経て、4月12日の午後成田に戻ってきた。新宿に出て高所用の特別な装
備を持ってきた配偶者と落ち合う。今回僕が日本に入れるのは一晩だけだ。貴重な一晩で装備その他を整え
て、13日の朝早く再びリムジンバスで成田に向かった。

 成田の旅行代理店待合ボードの前で、今回僕は初めて他のエベレスト隊員方と出合った。
 最初誰が本当のエベレスト登山隊員なのか僕には全く分からない。というのも皆そこらのオッちゃん?と変わ
らない普通の人達ばかりだったからだ。
 僕がそれまでに見た事のある隊員は、今回エベレスト登山を公募企画したAG社社長の謙ちゃん隊長だけ
だ。それも1回だけ、飯田橋の雑居ビル?3階オフィスで話をしただけである。こんな事でこれから大変な冒険
をしに出かけていいのかという話もあるが、公募隊というのはそういうものだとも思う。それに世界最高峰エベレ
ストまで本当に登ろうと考えている方達だ。そんな変な人がいる分けないだろう。
 
 ヒョロ長の方や、妙に筋肉質の方、ちょっとお腹が出た?感じの隊員方に混じって、見るからにアスリート系で
眼光鋭い方が見えた(こんな事書いて良いのかなあ、皆怒らないでね〜・・)。ランナーと周囲から呼ばれている
彼は間違い無く、エベレストに登る人だと思う。
 ところが聞いたら彼はベースキャンプまでしか行きませんと言う。不思議に思ったが、その謎は後から少しづ
つ分かる事となる。
 
 さて皆と初対面の挨拶をしてから、税関に向かうまで僅かな時間があった。配偶者と成田空港でしばし別れの
時を過ごす。死ぬかもしれない旅だと思うと、やはり胸に来るものがあった。僕にはこれから新しい出会いや経
験が山ほど待っている。ところが妻は子供達と日本に残されるのだ。申し訳ないと思うが、これが僕の人生だ。
もう後戻りする事はない。これから先行くところまで行くのだと改めて気を引き締めた。

(ルクラまでも大変です)
 カトマンズまでのフライトはAG社のスポンサーでもあるタイ航空だった。ところが経由地バンコクはちょうどAS
EAN絡みで騒乱の最中だ。しかもソンクラーンとか言う旧正月水掛け祭りの日でもあると言う。分別ある方々
は皆、外国人がバンコクをうろつくのはとても危険な状態だから止めておけと言う。
 ところがエベレストに行こうと言う人に、大人しくホテルで隠れていようなんて聞き分けある人はいない。
 皆で町に出かけて何故か謙ちゃん馴染みのお姉ちゃんのいる店でびしょ濡れになったりする。その上群衆の
中で行方不明になる人もいたりして、謙ちゃん隊長をヤキモキ?させたりしていた。

 カトマンズで後発のアイランドピーク登山隊の方々と合流する。こちらも元気な中高年の方々ばかりだ。エベ
レスト隊にアイランドピーク隊が混ざっているのも変だなあと思うが、どうも何時の間にか僕も一緒にアイランド
ピークに登る事になっているらしい。ホンマかいなと思うがどうも僕は、高所順応のためアイランドピークに登る
予定になっているらしい。
 一つオマケ?の山に登れるのは嬉しかったが、僕はアイランドピークという山をほとんど知らない。何かで聞
いた事があるくらいだ。ここは謙ちゃん隊長に大人しくついていくしかないと思う。

 更にカトマンズでは天気待ちで、何時ルクラ行きの飛行機が飛ぶか分からなくなっていた。一回は飛行機に乗
りこみシートベルトを点けてから、再び外に追い出されたりもする。
 何でもルクラ便は良く落ちるから、慎重にならざる終えないらしい。ややタイトなスケジュールを組んでいるエ
ベレスト登山隊としてはどうも最初から多難な始まりだなあと思う。

(賑やかで美味しいキャラバンだけど)
 多くの見ず知らずの方々とのキャラバンは楽しいものだった。コック付きで食事も豪華な和食中心だ。寂しか
ったメラピークの時とは大違いだと思う。様々な職業、お立場の方との旅は飽きる事が全く無かった。
 意外な敵は突然現れた。標高4400mのディンボチェの町で隊員全員が一斉に下痢にやられる。あの元気な
謙ちゃん隊長ですら難しそうな青い顔して歩いている。かく言う僕も今回の春の旅で初めて激しい下痢に襲われ
た。

 このディンボチェでは多くのシェルパでさえ下痢していた。これは間違いなく水が悪いせいだと思う。エベレスト
ベースから出される糞尿も関係しているかもしれない。
 しかしこういう中で唯一ランナーさんだけは全く平気で過ごしていた。なぜ彼にエベレストベースまでしか行か
ないのですかと聞くと、僕は山登りが好きでないからですと答える。それでいて既に七大陸の最高峰に登ってい
るという。何で彼だけ下痢にならなかったのかは今だに不思議だ。
 一見怖そうな人だが、実際は驚くほど心優しい方で体脂肪率は7%しかない。マラソンはサブスリーが当たり
前だと言うから本当のスポーツマンだ。しかしやはり謎多い人物ではある。 

(アイランドピークは大騒ぎ)
 砂埃が舞うアイランドピークBCから上部キャンプに上がる。メラピークやエルブルースで高度順応が出来てい
る僕は比較的ここまで楽に登れた。唯一の心配事は下痢くらいだ。
 4月26日午前3時、真っ暗の中いよいよ頂上アタックに出た。割としっかりした踏み跡のあるガレ場を登り氷
河末端に出る。ここでアイゼンを付け、しばらく歩くとクレバス帯となった。
 飛んだり跳ねたりで突破するが、アイランドピーク隊のおばちゃん2名がクレバスを飛べない。謙ちゃん隊長
は2人を連れてクレバスを大回りコースで突破していた。ガイドの仕事は大変だと思う。
 氷河からフィックスのある氷壁を登り、やや険しい稜線に出た。ここは足元がふらつくと危険だ。残念だけどや
や高齢のアイランドピーク隊の方々は全員ここまでで引き返す事となる。
 一方さすがエベレスト隊の方々は全員アイランドピークの頂上に立った。引き返した方々には申し訳ないが、
エベレスト隊の面目は保った。頂上からの景色は素晴らしいものだった。目の前にローツェ南壁がすごい迫力
で聳えている。

 さて今回登頂に至らなかったアイランドピーク隊の方々は、皆それぞれ高齢の方々ばかりであった。悪く言え
ば高齢者の大名登山なのだが、60才を軽く過ぎた方々が全員、標高6000mまで速やかに登ったのは素晴ら
しいと思う。
 このアイランドピーク登山は、僕にとって始めての公募ガイド登山だった。こういう高齢の方々を安全に高峰に
導き、きちんと下山させるガイドとシェルパの力は確かにプロフェッショナルだ。最後の稜線通過と素晴らしい景
色、そしてシェルパとガイドの力が強く印象に残る登山となった。