メラピーク其のA〜それでも僕はがんばるのだ〜
予想以上の寒さ、乏しい食料と装備、単独による寂しさもある。
条件は厳しかったがそれでも僕はあきらめない。
スキーを持って、ただひたすらに頂上を目指した。

メラピーク頂上付近の地図


メラ氷河での高度順応


まずはスキーを楽しみます


頂上アタック。朝日が差してきた


頂上はもう少しだったけど


全力は尽くしました


マカルーを正面に見ながら下山


6000mからの滑降


さらばメラピーク


  メラピークスキー登山其のA〜それでも僕はがんばるのだ〜

(日付)2009年3月7日(土)〜3月23日(月)
(山域)ネパール
(現地エージェント)コスモトレック(大津二三子さん) (エージェントに払った費用)3700USD
(他の隊員方)カイラ(ネパール人ガイド、タマン族)
(行動)3月7日:カトマンズ、8日:→ルクラ→テュクディン、9日:→カルキテン、10日:タクトク、11日:→コー
テーカルカ、12日:→タンナン、13日:→カーレ、14日:休養、15日〜18日:⇔メラ氷河BC⇔メラピーク登
山、19日:→コーテーカルカ、20日:→タクトク、21日:→チュクディン、22日→ルクラ、23日→カトマンズ
     
(ラーメンばかりのベースキャンプ)
 カーレから先はモレーン台地を回り込む様に進み、北面メラ氷河の末端に上がる。ジーパン姿のポーター2
人も険しい棘々の氷河をスニーカーで歩いてくれた。無事メラ峠を越えて標高5400m地点に小さなベースキャ
ンプを作る。ここから先はカイラと2人で頂上を目指し、できれば僕はスキー滑降を目論む予定だ。
 装備乏しく寒さは堪らなかったが、高度順応も比較的上手く行っていた。
 最大の問題点は食料だった。カイラの用意した高所用食料はネパールのインスタントラーメン3日分だけだ。
どうも3食インスタントラーメンで過ごさないといけないらしい。ラーメンが嫌になれば日本から持ってきたお茶や
行動食でしのがないといけない。下山に1日かかる事を考えると、上部にアタックキャンプを作る余裕は無かっ
た。
 一日を高度順応のための上部往復にあて、その翌日に長躯ベースキャンプから頂上アタックする作戦を立て
る。午後には決まって天気が崩れる事を考えると、頂上に至るには余裕無く、相当急がないといけない。これは
なかなか追い詰められてきたと思う。

(メラ氷河での初スキー)
 BCに入った翌日にはスキーを持って標高5800m付近を往復する。下りはもちろんスキーだ。歩いて下るよ
りずっと早くベースキャンプに着いた。残念な事に氷河はカリカリで硬い。とはいえ傾斜は緩いから滑落の危険
は少なかった。
 ほんの15分ほどのスキー滑降なのだが、ヒマラヤでの初めてのスキーに十分感動できた。
 その日の午後にはまとまった雪が降り積もった。雪は夜遅くなっても降り続いている。これは頂上往復にはか
なり厳しい情勢だ。しかし氷河上には雪が積もり明日の滑降はパウダーになるかもしれない。とにかくは全力を
尽くす事を決め、寒くて薄い空気の中浅い眠りについた。

(猛烈な寒さの頂上アタック)
 深夜になり雪は止んだ。3月17日午前3時にカイラと僕は頂上を目指し、ベースキャンプを出発する。今日の
行程はどう考えても長い。スキー板はカイラに背負ってもらう事にした。BCを出て直ぐにこれは尋常でない危険
な寒さである事に気づく。氷点下20度以下は間違いない。氷点下30度近く下がったんじゃなかろうか。今から
思えばこの日は標高8000mのエベレスト頂上アタックの時より寒かったと思う。
 この時僕は薄手の羽毛服しか持ってなかった。着れる服は全て着こんでいたが、それでも寒くて仕方が無い。
こういう時はただ歩く以外何も出来ない。指先の凍傷が心配で、水筒のお湯も飲めないし、持参のカーボショッ
ツも凍って食べれない。もちろん排便、排尿も不可だ。
 カイラと二人で凍傷に気をつけながら、どんどん標高を上げた。
 標高5900m地点で陽が上がり出した。これで幾分か暖かくなるだろう。6000m地点でカイラがスキーをデ
ポしようと提案してきた。此処から上は比較的大きなクレバスが出てくるらしい。しかし上部を見るとここから先
も美味しい斜面が続いている。

 僕としてはできるだけスキーを上部に持ち上げたかった。しかしここで僕は大事な事に気づいた。
 もし僕がカイラより早くスキーで降りてしまうと、下山時にカイラは一人残されて危険なクレバスを徒歩で降りな
いといけない。これはちょっとまずい。 ヒドンクレバスがある以上氷河上ではカイラと一緒に行動するのが原則
だ。ここはしぶしぶスキーをデポする事に同意する。
 案の定ここから先は幅1mほどのクレバスが何度も出てきた。しかし勇気があればスキーで越えれない程で
はない。氷河スキーの場合誰かパートナーが必要だという事に、今更ながらこんな所で僕は気づいた。

 標高6200mを越えた辺りから雪が深くなってきた。高度の影響も出だして僕の登高のペースは各段に落ち
た。幸運な事は天気が持ってくれた事だ。この日は昼近くになっても天気悪化の兆しが見えなかった。これはラ
ッキーだ。ここまで来たら何とか頂上に立ちたい。

(頂上直下よりの下山、及び6000mでのスキー)
 ラッセルと高度の影響で僕はもうくたくただった。ほとんど最後はカイラに引っ張られるようにして登る。11時
になりやっと頂上稜線に着いた。ここから中央峰の頂上までもう目と鼻の先だ。最後の頂上への登りに入る。と
ころが頂上直下30mほど下で大きなクレバスが現れた。ここはハシゴでもないと突破できそうに無い。これで
万事窮すだった。残念だが頂上はあきらめるしかない。頂上稜線からはエベレストやマカルーが良く見えた。記
念写真を撮って下山を決める。
 下山の斜面はパウダーだった。スキーがありクレバスが無ければ豪快スキーを楽しめるだろう。しかしこの条
件でここまで来ただけでも上等だと思わなければならない。
 クレバスを慎重に飛び越えながら、スキーのデポ地点まで歩いて下る。
 天気は悪化してきたが、スキーを履けば下山は早い。パウダーもそれなりに楽しめた。たちまちの内にカイラ
を追い越し、メラ峠まで降りてしまう。

(帰りのキャラバンも楽でない)
 翌日まだ朝の内に、ポーター2人がベースキャンプまで荷物を下ろしに来てくれた。少し残念な気持ちもあっ
たがこの時期のメラピークは予想以上に大変だった。食料も無いし下山しか選択肢は無い。
 帰りのキャラバンも楽でなかった。ツェトラ峠を越える時には雪に降り込められ、丸一日の待機と吹雪の峠越
えを強いられた。雪の峠を越えて明るいルクラに降りてきた時には心底ホッとする。
 これから一時帰国し、次はヨーロッパ最高峰エルブルースでのスキー登山を予定している。そしてその先はエ
ベレストだ。僕の楽しみと試練はまだまだこれからも続くのだ。