自己紹介させていただきます。


Junichi Shinozaki

1963年10月、横浜生まれ。土浦一校山岳部、名古屋大学山岳部OB。日本山岳会東海支部員
日本産婦人科学会産婦人科専門医、久美愛厚生総合病院産婦人科部長

82年名古屋大学医学部入学。85年ソウル大名大合同仁寿峰仙人峰岩登り、錫丈岳北東壁名古屋大ルート、
86年日本山岳会東海支部ムザルト峠踏査、天山雪蓮峰試登
87年名大山岳部インドCB山群踏査、未踏のCB47登頂、88年天山雪蓮峰試登
89年名大医学部卒業。医師免許取得。
89年4月〜12月シルクロード横断登山(ムスターグアタ、天山雪蓮南峰、カラコルムシムシャル峠周辺未踏峰
デマバンドなど8カ国の12峰に登頂)
90年1月〜6月アフリカ横断登山(ルゥエンゾリ、ケニア山、キリマンジャロなど10カ国を巡り6峰に登頂)
90年7月刈谷総合病院産婦人科、93年12月名古屋掖済会病院産婦人科、
94年6月精巣セミノーマ手術を受ける。95年7月〜97年6月環太平洋環境調査登山
96年5月ロレックス賞準入賞。97年7月臨港病院産婦人科、98年2月高山久美愛厚生病院産婦人科
09年2月〜6月七大陸最高峰登頂を目指す旅、エベレスト登頂によりセブンサミッターとなる


指先の仕事が多く肩こりもあります。


現在の悩み事を告白します

(1)休みが少ない
高山の様な地方で勤める産婦人科医不足は深刻である。
それこそ身を粉にして働かないと、地方での産婦人科医療レベルをはまともなものに維持されないのだ。
風邪をひいていたり、寝不足の時などたまらない気持ちになるが、
これも社会的使命なのだと認識して普段の仕事をがんばっている。大学からの派遣代務医師のおかげで
月に2回週末に休めるが、それでも休みがなく断念した登山は数知れない。


(2)夜中の仕事が多く、生活が不規則になりがち
分娩と言うのは24時間何時おこるかわからない。産婦人科医は24時間コンビニエンスストアの如く
いつも開業状態でなければならないのだ。夜中の分娩に立ち会うのは産科医の宿命なのだが、
だれでも夜中の仕事は辛いのは当然だ。特に自分は翌日ろくに寝てなくても外来や手術が待っている。
夜中の分娩が一件あるとどうしても数日、本調子に戻らない時がある。
自分ももう若くは無い。普段から規則正しい生活が出来れば、もっと体力や健康も保てるのにと思う。


(3)仕事のプレッシャーが時にとても重く感じる(産科編)
産科は知る人ぞ知る訴訟多発分野である。いくら医師が人権無視の勤務状況で働いていようが
分娩と言うのは妊婦さんにとっては一生に何度も無い大変な事業なのだ。
うまくいかなければ不満や不平が出るのも当然だろう。自分にとって日常茶飯事の分娩も
患者にとってはかけがえの無いものだ。当然プレッシャーはある。


(4)仕事のプレッシャーが時にとても重く感じる(婦人科編)
一般的に癌治療というのはチーム医療で、癌検診、手術、抗がん剤治療、その後のフォロー等は
何人もの別々の医者で行われるのが普通である。それぞれ専門分野というのが医者によってあるのだ。
ところが婦人科と言うのは根本的に治療にあたる医者が少ないので、がん検診、手術、抗がん剤治療
アフターケアからそれこそ終末期医療まで独りの医者が当たらないといけない(都市部の大病院は別)。
当然多くの知識や技術を習得する必要もある。
良かれ悪しかれ多くの人の命に縁を持つ責任の重大性に重みを感じない訳にはいかない。


(5)太り気味である
突然軟派な悩み事になるが、自分は一時高所登山や岩登りをしていながら、昔から太り気味である。
04年秋に人生で最も重い体重を記録し、身長172cmで体重69kgを記録してしまった。
おかげで登山時における登高スピードも今ひとつだし、スキーもなかなかうまくならないと思っている。
スキーがうまくなるためにダイエットに挑戦、せめて体重を65kgまで下げようと思っている。
もしもう5kg体重が少なかったら8000m峰サミッターも夢では無かったとマジで思っている。
なおこれは09年のエベレスト登山で帰国時に59kgまで痩せた。今は63kg前後を維持しているが、
日頃の不摂生からリバウンドが心配。



悩み事とは、裏返せばやりがいでもあり、使命感の源でもある。
これから先も決して悩みは絶えないだろうし、悩みの克服を繰り返す事が大事なのだと思う。


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