仙人峰と仁寿峰 フィリピンはマニラ郊外タガイタイにある湖上の火山。89年5月4日に登った。 わざわざ登りに行く山ではないが、アジア横断登山行で最初に登った山として個人的に印象深い山だ。 たまたま遠くに見えたから登った。情報も何もなかった。そういう山登りも僕は好きだ。 ミンダナオ島にあるフィリピン最高峰 共産ゲリラが出没する地域を通過しなければならない。 登頂に困難は無いが、いつ誘拐されるかも知れず現地の治安を考えるととても今では登りに行く気がしない。 当時は自分もまだ随分と若く怖いもの知らずだったのだろう。 89年5月9日に登頂。 麓のジャングルには温泉が湧いていた。 マレーシアのボルネオ島にある東南アジア最高峰 頂上まで整備された登山道がある。 最高点はローピークと言い簡単に登れる。 今度来るときは登攀具を持ってパートナーと共に登り たいと思った。89年5月15日登頂。登山道の周辺 には珍しい食虫植物が生え、美しい蝶が舞っていた。 インドヒマラヤ、ヒマチャルプラデシュ州CB山群中央 部の山。大学5年生の時、名大山岳部インドヒマラヤ 登山隊で登った。イギリス隊に続いての第二登。 87年8月7日に登頂。登山そのものも印象深いもの だったが、準備段階の苦労も忘れられない。 ティラカラール峰に続いて登った6000m峰。 過去の隊は頂上稜線に達したところで引き返してい るので、自分たちが真の絶頂への初登頂者なのだろう。 避暑地マナリの上部にあるロータンパスの正面に見えるきれいな三角錐の山だ。 登頂には正面の急な雪壁を登るが容易でない。 しかも頂上は雪尻で守られていた。 87年8月13日名工大山岳部の大鐘氏と共に登頂した。 頂上の雪尻を始めて突破したのは大鐘氏である。 日本山岳会東海支部が4次にわたって遠征隊を出した雪蓮峰の南峰。 頂上からは2,5kmの険しい稜線の先に雪蓮本峰が見えた。 自分は4次隊に参加できず。本峰には登頂できなかったが、 中央アジアパミール高原の高峰。 自分が登った山の中で最も高い。 登山許可の関係で地元中国人の2人とパーティーを 組んで登ったが、実質的に単独登山だったと言っても差し支えないだろう。 89年8月18日に登頂したが、当時は単独で7000m峰に登頂した日本人は決して多くなかった。 不退転の決意で未明の最終キャンプを発ち、たった 一人で頂上に向かったときの高揚感は今でも自分の人生の応援歌になっているような気がする。 シルクロードのど真ん中シムシャル峠にある目立つ山。 小さなベースキャンプを設営、1週間にわたり付近 の山を登りまくり、4つの未踏峰を含む6峰の5000峰に登頂した。 登山もさることながら、シムシャル谷の遊牧民たちのライフスタイルは興味深かった。 この山には89年9月16日に登頂。あれから20年 近くたったが、今もシムシャルの人たちは元気にしているだろうか? シムシャル峠の真横に聳える岩峰。 登頂は裏手にルートを見つけたが、それでも慎重な 単独岩登りを要した。89年9月18日に登頂。 初登頂である。 あれから20年。僕の後にシムシャル峠周辺で登山を行った人はいるだろうか? おそらく今だに僕しか登っていない岩峰なのだろう。 おそらくシムシャル峠周辺で最も高い山と思う。 写真は頂上からのもの。 89年9月17日に登頂。これも初登頂です。 単独でクレバスのある氷河を進み登頂した。 奥に見える山々は全て未踏。 自分の幸運に感謝する瞬間だ。 シムシャル漂流登山の記録へgo イランの最高峰。富士山のような山だ。 ひたすら登れば頂上に着く。98年10月25日に登 頂した。現地で出会った蝶収集家の三浦氏と共に登れた。 雪のある時期に登れば豪快なスキーが楽しめると言う。 韓国の最高峰、済州島にある。 通常は山頂ドーム付近は入山禁止になっているが、 同行してくれた韓国の友人たちに感謝。 登頂に困難はないが、崩壊部には注意が必要である。 97年3月9日に環太平洋環境調査登山で登頂。 知られざる北の荒野、カムチャッカ半島にある巨大な活火山。 はいえないだろう。しかし自分にとっては登山のための準備活動が印象深い。 季節を選べば夢のようなスキー登山ができる可能性のある山だ。 環太平洋環境調査登山で最初に登った山。 この山は50年ほど前に大噴火があり山の形がまるっきり変わってしまったことで有名だ。 ベースキャンプまでは巨大な蚊の大群に悩まされた。頂上は大きな噴火口から更に雪の稜線を 半日登ったところにあった。95年6月21日に登頂。 インドネシアの観光地バリ島にある火山。 麓の寺院群の迷路を突破するのが核心か。 よほどの山好きでもなければバリ島に来てもこの 山に登ろうとは思わないだろう。 景色は良い。97年4月1日に登頂。
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