山のアルバム(南米編)

驚きと発見の連続だった南米の日々の思い出は、子供の頃部屋の奥に隠していた宝箱
のようにいつもいろいろな色の輝きを放っている。
環太平洋登山の真髄は南米登山にあったと思う。

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自分の登山記録と癌闘病記にもぜひご訪問ください。


             トリマ(5215m)
コロンビアも思い出多い国だ。危険な国とはまた魅力的な国なのかもしれない。
当初最高峰クリストバルコロンを目指していたが、麻薬ゲリラの支配地域で近づくことはできなかった。
日本人の誘拐も多い国である意味自分の行った30以上の国の中で最もやばい国だったような気がする。
 現地で計画を練り直して、ゲリラから安全と言われた首都近くのトリマに狙いを定めた。
 下部は独特の南米ジャングル。上部は火山帯に小さな氷河が乗っていた。
 地球の温暖化が進めばこの氷河も遅かれ早かれなくなってしまうだろう。
 そうすればこの山の魅力も半減してしまいそうで残念だ。 95年12月14日登頂。






チンボラソ(6310m)
南米の小国エクアドルの最高峰。 
赤道直下にある国で、その頂上は地球の中心から地上で最も離れてる地点なのだそうだ。
 氷河に囲まれた美しい山だが、登頂に困難な所はあまりない。スキーでも十分滑降
可能なのではないか。ただしクレバスには十分注意が必要だ。
標高も高くなるので高所順応の失敗は命取りになる。
自分も久しぶりの6000m峰に随分と高度障害を感じた。
 95年11月26日に山本武氏と共に登頂した。






ワスカラン(6768m)
ペルーアンデスは登山家なら一度は訪れたいところだ。
美しくて登り甲斐のある山がそれこそ星の数ほどある。
 標高も手ごろでアプローチも良い。
 言葉の問題はあるが、ひと夏をクライミング三昧で過ごすのにこれほど適した所も少ない
だろう。
 自分たちはペルー最高峰ワスカランを狙う。
 残念ながら氷河の後退は著しい。
 クレバスの突破が登頂への鍵を握っていた。
 96年7月16日に鈴木邦則氏、鈴木美代氏と共に登頂した。
 ペルーには観光地も多く、両氏と共に充実した価値ある時間を過ごすことができた。






イリマニ(6462m)
ボリビアの首都ラパスは標高4000mもある。
富士山より高い首都で坂道も多く、歩いてるとすぐに息が切れてくる。生活しているだけ
で高所順応ができる高地訓練にぜひどうぞと言った場所だ。
 そのラパスから最も美しくかつ立派に見える山がイリマニだ。
ラパスからのアプローチもよくすごく困難な山というわけでもない。
 首都からのツアー登山もあり。われわれもその一つを利用させていただいた。
 ただし標高は高いので油断すると登頂は難しい。
鈴木邦則氏、鈴木美代氏と共に96年6月27日に速攻で登頂できて良かった。






サハマ(6520m)
ボリビアとチリの間を結ぶ国境越えの道路から程近い地にあるボリビア最高峰。
 周囲はアンデス山脈の高地砂漠帯で、雪解け水を集めた川の周囲にはわずかな集落が
あり、リャマやアルパカが放牧されていた。
 自分は96年11月雨季の最中にこの山に向かったが、頂上付近のラッセルに時間切れ
で撤退となった。ハイキャンプまで案内を頼んだポーターたちはただひたすらコカの葉を噛
み、何も飲食しないままただひたすら上部に案内してくれた。
 雨季の山の手強さを知ると共に、山麓ののどかな光景が鮮烈に記憶に焼きついている。






オホスデルサラード(6885m)
アタカマ砂漠、チリとアルゼンチンの国境地帯のチリ側にある南米第2の高峰。
猛烈な乾燥地帯にあるためか標高は高くてもほとんど雪がない。
 頂上部はいつも風が強く、風の弱まるわずかな隙間に登頂することが重要だ。
 ジープでアタカマ砂漠を横断するのも楽ではない。私はおのおの30リットルづつ
の水とガソリンを持って入山したがぎりぎりであった。
7000m近い高峰を単独速攻で登頂するのには幸運も必要だった。
 97年2月13日2回目の挑戦で登頂した。






アコンカグア(6959m)
 いわずと知れた南米最高峰。日本からの登山者も多い。
 96年1月25日に頂上に向かった際に、たまたまチリで出会った同行者の
Kimura氏が頂上直下のグランカナレーターで滑落して遭難した。
 自分にとって苦渋に満ちた悔恨の山だ。
 97年1月30日に2度目の登山で登頂する。
標高4200mのベースキャンプから日帰り登頂だった。
 頂上部の嵐はすさまじい。貼り付けたKimura氏のレリーフも今ではもう残ってないのだろうか。






サンバレンティン(4060m)
 嵐の大地パタゴニアの最高峰。
北部氷床の西端にあり、我々はその東端氷河が海にそそぐサンラファエル氷河から取り付いた。
標高0mからの探検的登山である。船でのアプローチも、他の山域には無い独特のよさがあった。
アザラシが上陸を見守ってくれた。登頂の記録も殆んどなく、未だに日本人未踏なのではなかろうか?
 金田博秋氏、久保田敏康氏、滝沢守生氏らと共に悪天の中氷河から氷床にあがるも健闘
むなしく時間切れで引き返した。
 24時間雨と雪が降り続け約20日間の登山期間中晴れたのは、ほんの数時間だった。
 写真は頂上が見えたわずかな時間に捕らえたもの。自分たちにとって貴重な一枚だ。





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鈴木邦則氏編集です


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