山のアルバム(アフリカ編)
 
 平成元年12月から約半年間僕はアフリカで熱いときを過ごした。アフリカを横断しながら各地の代表的山岳を登っ
た。困難な登山も中にはあったが、それよりも陸路移動が困難の連続であった。すべて陸路で現地の交通手段を使っ
てのアフリカ横断は決して単なる旅行とは言えない。それだけで立派な冒険だったと思う。

アフリカ横断登山行アフリカ横断登山行
91年12月から92年6月にかけてのアフリカ横断
冒険登山。その波乱万丈の記録です。
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           ルゥエンゾリ(5110m)
アフリカ大陸第3の高峰。ウガンダという国にある。
 登頂には、アフリカ特有の植物群に囲まれた異様なジャングルを4日に渡り突破し、
スタンレープラトーと呼ばれる氷河を通過しなければならない。更に最後には短いなが
ら緊張する岩稜もある。
 変化に富んだ登山が楽しめるが、最も困難なことは天候が極めて悪いことである。
 麓の治安も考えると、頂上に達するのは決して容易ではない。
 自分は平成2年3月6日単独でマルガリータとアキサンドラの双子峰両方に登頂した。




        キリマンジャロ(5895m)
タンザニアにあるアフリカ最高峰。登頂へのシステムは整っていて、アフリカではある
意味特別な山だ。気楽に登れる山といえよう。
 金さえ積めば、上げ膳据え膳の大名登山がしめる。
 ただ標高は高いので、油断してかかると、絶頂のウフルピークには届かない。
 実際に2人に1人は手前のギルマンズピークで登頂としている様だ。
 僕は平成元年12月29日最高点ウフルピークに立った。アフリカではじめての山だ。




           ケニア山(5199m)
 観光立国ケニアを代表する存在といっても過言ではない。アフリカで最も美しい山だと思う。
 美しい山に相応しく最高点バチアンに立つには5級程度の岩登りは安全確実にこなせ
る岩登り能力が必要だ。
 丸一日の雪と岩の緊張した登高に耐えれる精神力と体力を持ち合わせたものだけに
ネリオンとバチアンの間にあるコル霧の門(写真正面上部の雪の鞍部)は開いてくれる
のだろう。
 平成2年1月11日僕はドイツ人ラルフとザイルを組み、ネリオンに登頂。その後単独
で霧の門を超え、バチアンに達することができた。





           カメルーン山(4070m)
サッカーで有名なカメルーンという国にある西アフリカの最高峰。ジャングルの中に忽然
と富士山が現れたような山だ。
 登頂に困難は無いが、あえて言えば完全なフランス語圏で、いかに間違いなく山の麓
に至り、道を誤ることなく登頂できるかにかかっている。
 登山者もほとんどいない。
 自分の登った平成2年4月23日はちょうどカメルーンがワールドカップで大活躍をしてい
た時であった。
 国民はサッカーに熱中していたが、何でこんな貧しい国がサッカーでこんなに活躍でき
るのか今でも時々不思議に思う。







            タハト山(3003m)
サハラ砂漠の中央部にあるアルジェリアの最高峰。自分はサハラ砂漠の最高点のつも
りで平成2年5月21日に登頂した。
 ところが後日、日本に帰ってからサハラ砂漠の最高点はチャドという国にあることがわ
かった。
 ああ勘違いである。チャドという国は世界で最も旅行が難しい国の一つだ。サハラ最高
点というエミクシ(3415m)に登ったことがる人は日本人の中にいるのか??である。
 タハトは歩いて登れる瓦礫の山。ケニア山から岩登り道具を持って陸路移動してきた自
分はおばかだが、サハラ砂漠の思い出は一生忘れることはないだろう。





             ツブカル山(4165m)
 北アフリカの最高点ツブカルはモロッコアトラス山脈の最高峰だ。
 ギリシャ時代のヨーロッパでは地の果てと信じられていたらしい。
 登頂に困難はなく登山道も整備されている。
 周囲には延々とロッキーのような山並みが続いている。
 平成2年6月6日に自分は登頂した。この山を最後に思い出がいっぱいつまったアフリカ
行は幕をとじたのであった。




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