ビンソンマシフ(4897m) チリのプンタアレナスを飛び立ち、アドベンチャーネットワーク社のベースキャンプパトリオットヒルへ降り立つ。まぶしい光に包 まれて強烈な寒気の氷の大地に降り立っ ブラジル、アメリカ、フィンランド、日本の4カ国、4言語、4人の国際隊は、更にセス ナでビンソンマシフに近づき96年12月15日無事全員で登頂した。 24時間沈まぬ太陽の下、強力な登山家たちと過ごした日々は自分の宝物になっている。 写真左奥の小さい三角錐が南極最高点ビンソンマシフの頂上である。 シン(4801m)
ビンソンマシフに続いて我々は南極第3の高峰シンに向かった。 頂上付近は岩壁帯になっていたが、簡単
な岩溝をたどる事で、快晴の元登頂することができた。猛烈に寒くてカメラも壊れてしまった。 シンの裏側に広がる南極の高峰群の壮絶な写真が皆台無しになってしまった。殆んど人が入ることの無い地域の写真だけに残念 でならない。96年12月16日登頂。僕以外にこの山に登った日本人はいるのでしょうか? シンの裏側には南極第2の高峰タイリーがある。すごい岩壁の山で写真がない分心に焼きついた。 タイリーを登ったことのある日本人はまだいないだろう。こういう景色を見てしまうと日本の山が小さく見えてしまい
そうである意味怖い。 イースター島(ラノアロイ506m)
南米からニュージーランドに行く途中イースター島観光も楽しんだ。ついでに島の最高点にも行く。 左はラノカウの火口です。 謎のモアイ像を始め、不思議なパワーを感じる太平洋のミステリースポットだ。 97年2月19日にのこのこと登頂。 マウントクック(3764m) ニュージーランドサザンアルプスの最高峰。これもまた美しくて困難な山だ。
登頂には危険なクレバス帯を突破しなければならない。自分が山に向かったときは
既に大きいクレバスガ開いてしまい、山に近づくことすらならなかった。 いつの日かまた挑戦してみたい。しかし今度ニュージーランドに行くときはスキーになるかも?
いずれにしてもまた行きたい国だ。
マウントグリーン(2838m) マウントクックの代わりに登った山。現地ガイドのゲイリーにおんぶに抱っこで登ったイメージだ。 正面の雪壁を連続15ピッチほどのクライミングで突破した。 ニュージーランドの思い出に残る手ごたえのある登山だった。 97年3月1日に登頂。 ホッホステッタードーム(2823m) マウントクックの代わりに登ったタスマン氷河源頭部の山々の一つ。 他にアイルマーやエイベルという山々にも登った。ガイドのゲイリーに連れられて登ったからであろうか、今ひとつ自分で登ったと いう気がしないのがちと残念だ。 しかし美しい山々に囲まれて過ごした数日間は国際交流も楽しめて印象深い。今度は何時の日か氷河スキーを楽しみたいもの だ。 ウィルヘルム(4508m)
ニューギニア島の東半分パプアニューギニアにある同国最高峰。
登山そのものよりも山麓の現地人の生活が興味深い。ただ最近は観光客も多いらしい。 また太平洋戦争の時はこの山脈を境に英豪軍と日本軍が対峙し、零戦やグラマンが死闘を繰り広げたという想像を超えた 歴史も秘めていた。 自分はCBCテレビの池田氏伊藤氏中世古らと共にテレビ撮影を兼ねての登頂だった。 97年3月18日に全員仲良く登頂した。
この時の模様は環太平洋環境調査登山ドキュメンタリー「あの日から山を見つめた」としてテレビ放映された。
リンジャニ(3726m)
インドネシアではオセアニア地域最高峰カルステンツピラミッドを登るつもりだった。
ところが同地域は政治的な理由で入域できず。代わりにバリからロンブク島に渡り、観光ついでに登らせていただいた。
頂上部には美しいセガラアナック湖という火口湖があったが、麓は猛烈に暑く、南極帰りの自分には拷問の様だった。
わずか数ヶ月で気温差70度を経験した訳だから、体のたんぱく質がおかしくなるではないかとさえ思った。
環太平洋登山の記録はドキュメンタリーとなり 環太平洋登山で行われた環境調査は高く評価され 環太平洋登山の記録は公式報告書「山は知っている」になっています。 ここまで来ていただき有難うございます。
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