85年韓国、仙人峰と仁寿峰岩登り

仁寿峰全景


スラブの登攀


厳しいクラックに悪戦苦闘



頂上で、韓国の学生たちには感謝


韓国の学生クライマーたちと


夜は連日の飲み会。ひたすらに真露という焼酎が続く



  ソウル大学農学部山岳部名古屋大学山岳部合同岩登り

(場所)韓国、仙人峰と仁寿峰
(メンバー)矢崎(5L)、桑山(4)、篠崎(4)

1985年夏は僕にとってとても印象的な夏であった。
その中でもやはり強烈なのは韓国の思い出である。
大学4年生21歳の僕は生まれて始めての海外旅行に出かけた。
ソウル大学との合同岩登りである。
この山行を実現するには、名古屋大学山岳部OBが主体となった海外遠征委員会による承認が必要であった。
今から思えばとっても不思議なことなのであるが。当時は韓国に行くのに話が急すぎるとか責任問題をどうするかが問
題になったのだ。
対外的交渉、対外的交渉を一手に引き受けてくれた矢崎さんの尽力でこの山行は実施された。
その後朝日新聞に就職された矢崎雅俊氏は今どこで何をしていることでしょう。もし万一この記録を見たらメールでも
下さい。

8月13日〜15日
 お金のない僕らは桑山のおんぼろカリーナに乗り陸路で下関へ、関釜フェリーで一晩を明かし、2日がかりで韓国に
渡る。フェリーはどういうわけか買出しのおばちゃんの白菜が一杯だった。
 今から思えば大胆にも、韓国の光復節(日本からの独立記念日)にあたる8月15日にソウルに着く。
 それでもソウル大学大学院生のチェさんは、それはもう大変な量の海鮮料理で僕らを大歓迎してくれた。
 韓国の新幹線セマウル号でソウルへ。

8月16日
 バスに乗りまずは仙人峰へ。ソウルは高度経済成長の真っ最中。道の脇には工事による砂山と大きな唐辛子の山
が次々と現れた。夜は韓国製焼酎とどぶろくで大宴会となる。
 夜の飲み会は、この後毎晩の恒例となった。

8月17日
 矢崎さんはこうもりルートと側面ルート。篠崎はSチムニーと中央トラバース。桑山は側面ルートとくもの道ルートに行
く。
 全ルートは韓国の山岳部員がトップしてくれた。難しかった。

8月18日
 天気が悪く、仙人峰から仁寿峰への縦走登山となる。沢山の岩峰を越えた。

8月19日〜22日
 仁寿峰で登攀と酒びたりの毎日が続いた。
 この間僕が登ったルートは友情A、剣岳コース、シェイナードB、東洋コース、仁寿Aバリエーション、シェイナードAを
登った。
 おそらくこの際に登ったグレードが、僕の今までの岩登りで最高のグレードであったと思う。
 もちろんこんなにたくさん難しいルートを登れたのは、各ルートを韓国山岳部員がトップしてくれたお蔭である。

8月23日
 韓国山岳部の方たちが、ソウルの料亭で友歓会を開いてくれた。
 僕らはおいしい韓国の焼肉を腹いっぱい食べさせていただいた。
 全く僕らは韓国の方々にお世話になってばかりであった。この場で感謝を再度表明させていただきます。
 僕らはお金をほとんど使うこともなく、なにからなにまで韓国の人たちにお世話になりっぱなしであったのだ。
 その後僕らは現地解散し、それぞれの興味の赴く対象に向かって行った。

 韓国の人たちはパワフルだった。近づくオリンピックへの準備、学園紛争、政変と韓国は激動の時代だったのだ。
 韓国の学生たちと連日飲んで登って過ごしたこのひと時は今から思っても貴重だった。
 彼らと話し合った話題は実に多岐に渡っている。
 ただの海外旅行では決して得られない特別な時間がここにはあった。